小室哲哉さんの引退会見を見て思うこと

大前提として私は小室哲哉の音楽で育ってきた人間です。
多感な思春期、そして本当になりたかった職業とは全く真逆の一般的な社会人になった18歳。globeがデビューした1995年から、小室さんが逮捕されKEIKOが倒れるあの日まで。
大阪ドーム(現・京セラドーム)のこけら落としを中学生で見て大熱狂させてもらって、globeを通じて知り合った人に恋もしました。友達も出来た。周りからも「globeが好き過ぎる子」といわれ続けてた学生時代。
私の精神性はglobeの歌詞によって養われて、おそらく私という人間に染みついています。
そして「音楽の道へ行きたい」という想いを作ってくれた原点。
それが小室さんという存在。
私に女性として「こんな人になりたいな」と憧れを持たせてくれた。
KEIKOという存在。

 

そういう人間が想う小室さんの引退。現実。そしてこれから。
私も歌詞を書く端くれとして小室さんへの想いを書き残したいと思います。

 

■ままならない苦悩と孤独。伝えたいという根幹

小室さんの音楽・歌詞に関して、人によって好きなところは様々だと思いますが、私が初めて小室さんの作ったものを聞いて、ハートを締め付けられた曲はTRF「寒い夜だから」でした。

寒い夜だから明日を待ちわびて
どんな言葉でもいいよ きっと構わないから
声が聞きたくて想い歌に託すよ
街よ!伝えて欲しい 変わらぬ想いを

この曲を聞いた小学生の私は衝撃を受けました。「音楽は(誰にも言えない自分の)想いを伝えるものなんだ」と小学生ながらに思感動して、当時抱えていたその年齢ならではの疎外感みたいなものとうまく共鳴したあの時の感覚は今でも時々思い出すことがあります。

そうして小室さんの存在を知り、篠原涼子の「愛しさと切なさと心強さと」で鍵盤を弾く眼鏡かけた小室さん本人をみて、あっさり恋に落ち(ひとめぼれみたいな)間もなくデビューしたglobeが私の青春時代のすべてになりました。
中学生だった私からすればglobeはすべてが「大人」で「大人の愛」歌っていることがすごく魅力的でした。理解できるわけもないけれど理解したいと中学生ながらに想ったのは、そこにちょっと背伸びしたような憧れがあったからじゃないかなあ、と大人になった今だから想うわけですが……。

このままいつかは終わっちゃうのかな ちょっとだけゆとりがこの頃持てない
あの日あの時偶然に出逢っていたから夢がある
時には誰かと比べたい 私の方が幸せだって……!

みんな泣いてる やり場のない想い
あなたの愛に触れ 私ができることなんだかわかった

globe「Can’t stop fallin in love」

もうね。このフレーズに魂が震える気がした中学生の頃。たぶん私の「礎」みたいな歌詞。
そして今回の会見の小室さんから感じる心の揺れや痛み、傷の本質みたいなものがあるとしたら、この歌詞から感じとれるものとすごく似ているなって思うんです。

 

■妻・KEIKOへの愛「今の方が愛は深い」と会見で断言

ボーカリストとしての才能を見出し、彼女の人柄に惚れ、めでたく結婚。KEIKOへの愛の深さ・小室さんにとって男女の喜びみたいなものははglobeの「Light」「Light2」というアルバムで表現されているので、これを機会に世間のみなさんに是非聞いてほしいんです。

この2枚のアルバムはおそらく小室夫婦の愛が最大ピークだったころに作られていて、私の中では小室さんが作る恋愛ソングの最高傑作として推せる作品。

一晩中愛しあって 今日も2人がこの世で笑ったり見つめたり寄り添えることを
鏡ごし見つめあってそんなことを楽しんでる
君という女性が現れてくれたから
globe「ひとりごと」

 

願っても 狙っても 祈っても ひざまづいても
手に入らないものがある
globe「ひとりごと」

 

ほんとにあなたはやさしい
すべてを受け入れてくれてる
受け止めるに心があるから
愛って文字に近づくのかな?
globe「US」

このアルバムにはKEIKOに対する感謝・ぬくもり・愛がたくさん書かれていて、その先に小室さんがKEIKOとの未来に夢見た姿やイメージが見えてくるんです。それがKEIKOの病気、自身の逮捕ということですべてが崩れてしまい、ままならなくなった。

KEIKOを献身的に介護し、ある種の子供がえりをしてしまったKEIKOに対し「愛は深い」とあの会見で言ってくれたことが、私には救いになりました。このアルバムに描かれていたことが逆説的にですが証明されたような印象を受けています。

 

■「引退」という選択にどう思うか

そんなメンタル的にも重度なファンである私ですが、小室さんのほうが遥かに年上なので遅かれ早かれ「引退」を見つめる日がくるのだろうなあと漠然とは思っていましたが、確かに今じゃない。2018年ではない。まだまだもっと先だと思っていました。

けれどね。音楽を作っていて幸せだと思えないなら無理に続ける必要も義務もないとは思うんです。伝えたいという想いが薄れ、孤独感ばかりが大きくなっているように思える今、小室さんに必要なのは音楽を作るというアウトプットではなく、自分をゆっくり見つめ直す時間なのかなあ、と。

確かに今のエンターテイメント業界には小室さんの音楽で育った世代のスタッフさんたちが多くいて、彼らがもう一度小室さんに!と思い期待して仕事を依頼するという背景もちょっと見え隠れして、それは私も同じ気持ちで、できればまた私達がびっくりするような、中学生だった私が魂震わせたようなものを作りだして欲しいという気持ちはないといったら嘘になります。

が。それはすべての環境が整って、きちんと音楽制作に向き合える状態になってこそできるものであって、小室さんがそういう環境ではない事は今回の会見でよくわかって、、、それは小室さんの様な有名人じゃなくても、一般社会に生きる私達にも共感できる苦しみがありました。

今回の件で日本のマスコミ・週刊誌の在り方、報道の有意性、今の音楽業界、介護問題。あらゆることが表面化して色々な人からいろんな意見が出て、それだけでも意義があるといいますか、ファンとしては改めて小室哲哉の存在の大きさを再確認させられました。そして彼が自分の音楽をどう捉えているのかもよくわかりました。

「思い入れのある曲について話すと1日かかってしまう」「自分の好きな音楽をやりたいという気持ちでこの世界に入った」定年を迎える年齢でも話すことは純粋そのもので、だからこそ90年代あれだけの数字を生み出せたのだと思うんです。そこには確かに人々を熱狂させる何かがあって、人の購買意欲をそそる何かを与えてくれていた人が小室哲哉という人なんだと思います。

私から小室さんに伝えたいのは。

数字や世間が求める小室哲哉という像から一旦離れてみてください。
この業界に入る前の自分を思い出せるなら、思い出してみたり。
今から離れてみてください。
そしてまた今に戻って来て下さい。

また音楽が楽しいと思える心を持って私達の前に立ってくれることをいつまでも待っています。

 

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